目指せ医学部合格のブログ

国立大学医学部医学科に合格しました(変更)

2018センター92%突破。
前期国立大学医学部医学科に無事合格致しました。

2017年度、金沢大学不合格を踏まえて(追加修正etc)

2017年03月08日投稿分(黒)
2018年03月04日追記(太赤)



そもそもこのブログ始めた理由が落ちたと確信したからだろう!わかってます。でも心のどこかで、万に一つでいいから受かってないかな…って思ってる自分がいたのは事実です。


7日14時に金沢大学の発表があり、知ってはいたものの番号はありませんでした。そもそも特攻!だったので見たときは「まぁ…そうだよな…」と思いました。
5分ほどして仕事の合間の父親から連絡が入り、次の一年に向けて密に連絡を取り合い共に戦うこと、全力で僕が追いかける夢をサポートする、ということを言われました。自分だけ、1人が受験だと思っていた僕は高校時代の恩師(中1~高2の5年間の担任でずいぶん迷惑をおかけしましたが可愛がっていただきました。古文の先生)の「受験は団体戦です!一人なのはペンを握って問題と向き合っている瞬間だけだ!」という先生の言葉が脳裏に浮かび心に突き刺さりました。父には感謝しても仕切れません。


患者に誠意を持ってオペを行い、平日は朝から何件もオペをし、休日は家で研究論文の原稿を寝る間を惜しんで書いている、そんな父の後ろ姿を見て、医師を志しました。
医師としての父を心から尊敬しています。
忙しい中で出来の悪いバカ息子を全力でサポートしてくれる親としての父の姿も僕の親友や彼女との付き合い方に大きな影響を与えました。
父のその全てが僕の目標となっています。
「夢は大きい方が良い。絶対に見失わないから」by明石家さんま

30分ほどして高3の時の担任から連絡がありました。結果を伝える時、電話口の向こうに、担任だけでなく、元担任の恩師がいることに気がつきました。不合格を伝えた時、電話口の向こうから、声は聞こえませんが重い雰囲気を感じました。彼も自分のことを心の片隅で応援してくれていたのだと深く気づきました。

3/11、合格を聞いた恩師が泣きかけてて、その時に自分がいかに恵まれていたかに改めて気付いた。


その時、自分を支えて期待してくれていた人々に対し、本当に申し訳なく思い、自分自身をこんなに情けなく思ったことはありませんでした。


去年は割とチャラチャラしていて、「浪人して国立医学部いきゃーいいや」くらいな感じでしたが、1年で心の変化は大きかったのです。


自分でも驚くほど心境の変化がありました。


しかし、この一年は昨日の気持ちを忘れずにやっていきたいと思います。


予備校、現役共に言えると思うのですが、良い友達を作る、良い友達になる、っていうのは大切ですね!
僕自身、彼女やクラスメイトに、辛いとき、イライラした時に話せた、というのはとても良いことだったし、ある女の子はイライラしてきた時に僕にげしげしっ!と当たってきて、その次の日に「昨日は当たっちゃってごめんね...」なんてこともありましたが、同じ状況の誰かに話せる、これを経験した誰かに聞いてもらえる、ってだけで大きいと思います。スランプや疲れを多少は受け止めてくれる人。

予備校に入る人へ、友達は2〜3人くらい作ると良い。ただし、サボり癖のある人には引きずられるからしっかりしたやつと。



そして!特に男子は『予備校に彼女作りに来ているのではない』ということを忘れないこと。
自分も相手も目指しているのは第一志望合格だから、あくまでも友達、仲間。ライバル。



自分自身のための言葉として元将棋連盟会長、タイトル「棋聖」の永世称号を持つ故米長邦雄永世棋聖の言葉たちを胸に勉学に励みたいと思います。(部屋にコピーした彼の言葉を貼りました。ここでは部屋に貼った彼の言葉の一部を書いておきます。)

脳みそに汗をかけ

消化試合にも、全力を尽くす。=米長精神。



僕自身、医師になるという決意のため浪人させてもらい、恵まれているな、と思います。
それを無駄にせずにあと一年駆け抜けようと思います。
こんなにいろいろな人が支えてくれる時期は若い今しかないのだから、思いっきり押し返して答えようと思います!応援よろしくお願いします!

×

非ログインユーザーとして返信する